不惑なハズのお年頃 アラフィフADD

ADDってこの年になって診断されたよ。今までの普通への憧れに納得。望んでも普通にはなれないと断言されたんだぁね

良い人でありたり

人間の根本の願望なのだろうか

「良い人に思われたい」

 

優しい人 と言われ続けた

道に迷ってる外国人さんがいたら

声かけるし

 

ベビーカーあってもぐずった赤ちゃんをだっこして大変そうな方の

駅の階段 荷物持つし

 

もちろん 電車で 立ってるのがつらそうな目上の方を見かけると

すこし離れたところに座っていても 席を譲る

 

PTAの役員も 進んでやるほどの積極性はないが

やる人がいなければ無条件に受け入れるし。

 

ツイッターをやっていたころ

フォロワーさん怪我したり病気したり落ち込んだりしたら

もう気になって気になって「大丈夫?」メッセージおくり続けちゃってた。

 

ツイッターの場合 続けているうちに

フォロワーさんの事を気にかける事に疲れてしまったから

やめちゃたけどね。

ぜんぶ 呟きに目を通して理解していないといけないような強迫観念もっててね。

 

そのうち

落ち込んで死にそうだと つぶやいた後に

友達と遊びに行くリプを普通にしている現象を目にして

切り替えの早さというか 

自分の感覚とツイッター世界の格差

人間の一貫性があるべきと思い込んでた自分の時代に合わない感性に気が付いたよ。

 

ツイッターの世界でも 良い人でありたかった自分はなんだったんだろうね。

 

世界は平和であってほしい。

いま こうしてタイプしてる間にも

ネパールのがれきの中の救助は続いてると思うと

きれいごとを 吐き続けてる 意味というか 意義というか

どうやったら平和に貢献できるんだろうと 文字を打つことはできるけど

実際なにもやってない存在を 恥じるべきだよね。

こうやって 平和 なんてタイプしてる時点で

やっぱり 良い人にみられたいんだろう

なんでだろうね、わかんなくなるよね